「心を“内面”としてとらえるのをやめよう」
その決意が自身の思想の中心にあると語るのは、哲学者の野矢茂樹だ。

かつて目的もなく駒場キャンパスをさまよっていた22歳の野矢は、モラトリアムの中で、師・大森荘蔵に出会う。「それが運の尽き」と本人は笑うが、以来半世紀近く、一瞬たりとも哲学をやめようと思ったことはないという。
大森との対話から立ち上がったのが、冒頭に掲げた野矢哲学の出発点である。恩師から受け継いだ「宿題」と向き合い続けた一人の哲学者の歩みを、前編で辿る。
日常から堕ちて、傷つきながら這い上がる哲学──野矢茂樹・後編
哲学の広大な領土をじわりじわりと這ってきた
──のっけからいささか大きな質問なのですが、野矢先生は20代半ばから50年近く、哲学の道を歩まれて、いま哲学の景色はどのように見えているのでしょうか。
野矢 「哲学」という広大な領土の、どのくらいをほっつき歩いたんだろう。たぶん2割ぐらいじゃないですかね。いや、もっとずっと少ないな。
たとえば哲学と地続きの「倫理学」の領土には、これまで出て行かなかった。なぜって私にはおもしろいと思えなかったから。私にとって哲学は道楽みたいなもので、おもしろいと思えなければやらない。いまは、ちょっと倫理学もほじってみようかなという色気は出てきていますけどね。
『心と他者』(1995)で見定めた方向から、「言葉の意味」の問題、「行為」の問題とじわーっと広がって、今では「自由」、次は「自己」の問題が入ってくる。

客観的に見たら狭いところで遊んでいるんでしょうけど、自分のテリトリーを取り囲んでどういう領域があるのかは、以前よりずっと見えるようになってきました。
──哲学に向き合っていて、「行き止まり」を感じられたことはありますか。
野矢 行き止まりだと思ったことはないですね。前にか横にか、あるいは後ろなのかわからないけれど、じわりじわりと常に這ってきたという実感はあって、「詰んだ」ということはないです。
まず問題がでかいということなんです。たとえば、心を内と外に分けないならどうとらえればいいのか、自由と決定論はどう考えればいいのか。
でも、でかい問題を考えると頭がぼーっとしてしまう(笑)。アウグスティヌスの『告白』に有名な一節がありますよね。
「ではいったい時間とは何でしょうか。だれも私にたずねないとき、私は知っています。たずねられて説明しようと思うと、知らないのです。」
──アウグスティヌス『告白』第11巻第14章第17節(中公文庫、山田晶訳)
これは単に難しくてわからないという意味ではなくて、経験的には知っているんだけど、概念として定義しようとすると、途端にわからなくなってしまう、という状態を表しています。
そこで頭を麻痺させるのではなく、自分の頭が回るような小さな問題にしていく。そこが、プロの哲学者と一般の人の違いなんだと思うんです。すごいことを思いつくからプロなのではなく、自分の頭で前に進めるように問い直す。その技術とセンスがあるのがプロの哲学者です。
──大きな問題を小さな問題に分けて、どういうサイクルで問い直すのでしょうか。
野矢 私の場合、小さい問題に落とし込んでおいて、小一時間散歩をすると大体答えが出る。出てこなかったら、またやり直す。それを何度も何度も繰り返すんです。
本を書いているあいだは、頭がずっと活性化していて、感度のいいアンテナのように哲学の問題にチューニングされている。
すると散歩していても、電車で窓の外を見ていても、「あ、そうか!」というヘウレーカの瞬間が訪れる。アルキメデスがお風呂場で、浮力の原理をひらめいたときに叫んだような大きな「ヘウレーカ!」じゃなくて、小さなやつです。

それが何より楽しい。新しい景色が見えた瞬間は、本当にうれしい。気取って言うつもりはないけれど、おいしいものを食べたときよりうれしいです。
ちょっと悔しいのは、何年もかけて本を1冊、2冊と書いて、「ほら大丈夫、他人にも心はあります」と苦労して示しても誰も感心してくれないことですかね。
──ふつうの人からすれば、そりゃそうでしょう、と(笑)。でもこれだけ著作が出るのは根強く支持されている証左だと思います。
遡って、哲学との出会いについてお話を聞かせてください。野矢先生は、東京大学に入られた時点で哲学を学ぶことを意識されていたのでしょうか。
野矢 まったく意識してなかったですね。哲学をやろうと思ったら文科三類に入るのが順当です。入学したのは理工系の理科一類なんですよ。
もともとは自分が文系なのか理系なのか、よくわからなかった。とにかく理屈っぽいところはありました。ただ、学校の勉強もほとんどしていなかったので成績は悪かった。そんな中でも少しできそうなのが現代文と数学。つまり、あまり暗記しなくていいもの。
小説や詩を読むのは好きだったけど、哲学の本は特に読んでいなかった。哲学といえば倫理・社会の授業でアリストテレスやデカルトを知識として教わるくらいで、おもしろいとは思わなかったんですね。先生のこともまあ嫌いだったし(笑)。
ただ、どうも本能的に、問題があると解きたくなる。いま思えば、数学と現代文が好きというのは「分析哲学」※なんかと近い感じがしますけど、そんなこと高校生にはわからない。
※分析哲学:言語の論理的な分析や明確化を通じて、哲学的な問題の解決や解消を目指す現代の主要な哲学の流派。
──理系で入学されて、そこからどうして哲学に?
野矢 大学に入ってみたら、全然やる気が起きなかったんです。数学は好きでしたから、数学科に行ければという気持ちはほんのりあった。でも東大は、2年の後半に成績で進学先が振り分けられて、数学科はかなり成績が高くないと行けなかった。
東大で数学をやろうという学生の中には、とんでもない才能をもったやつがいますからね。数学の先生の自由ゼミに行ってみたら、1年上ぐらいの先輩が先生とめちゃくちゃ専門的な話をしていて、「ああ、これはダメだ。歯が立たない」と早々に諦めました。
授業にも興味がもてず、墜落しないギリギリの低空飛行でしたから、いけるところは限られています。工学や農学のような、実際に役に立つことをやるところにはいきたくなかった。どうも性格が現実逃避タイプなもので。それで、ミニ理学部のような基礎科学科というところに進んで、計算機数学で卒業研究をしました。
──卒業後の進路はどう考えていたんですか?
野矢 大学院も一応受けましたが、会社勤めをする気にもならない、世の中に出たくないという後ろ向きな動機ですから、勉強もしていなくて当然落ちました。いまで言うモラトリアム、それも不完全なモラトリアムです。
22歳で留年が決まって、やりたいことが何もない、やれることもない。数学に憧れていると、天才はみんな20代ですごい仕事をするわけです。だけど自分にはその才がありそうもない。
それであるとき、「よし、明日から余生にしよう」と思ったんです。

──早いですね(笑)。
野矢 「余生をどう過ごそう」なんて考えながら、キャンパスを目的もなくフラフラ徘徊していたんですね。そうしたら、当時の教養学科という、ミニ文学部のような学科の授業案内が掲示されていて、それを見たときに「あ、これならやれるかもしれない」と思った。
本当に直感です。惹かれたのは「科学史・科学哲学」でした。村上陽一郎先生の本を読んでおもしろいなと思って、村上先生みたいなことを勉強できればと入っていったら、そこで大森荘蔵先生※に出会ってしまった。それが運の尽き、ということです。
※大森荘蔵(1921〜1997):哲学者。東京大学教養学部教授。物と心を二元論的に分けず、知覚された対象がそのまま「立ち現われ」として実在するとする「立ち現われ一元論」のほか、「重ね描き」「時は流れず」などの独自の哲学で知られる。
──大学院ではなく、学部に入り直されたんですね。
野矢 大学院に入るだけの勉強はしてないですから。5年かけて学力をどん底に落としていった学部時代でした。3年生へ編入する学士入学を受けたんですが、それも一度落ちています。
ドイツ語なんか、おまえ本当に勉強したことあるのかというくらいで。面接に行ったら、伊東俊太郎先生という科学史の大家がいらした。といっても当時の私は知らないから「誰だ、このおっさん」って感じなんですけど(笑)。
その先生が身を乗り出して、「野矢くんだね。君ね、語学の点数は全部基準点以下。でもね、小論文おもしろかったから呼んじゃった」と。そして「落ちたのは面接のせいだと思わないでね」って。そういうおもしろい先生がいらっしゃるところだったんですね。
それで逆に「なにくそ」と思って、ドイツ語学校に通い、受験生のように英語も勉強し、哲学事典の大事な項目も覚えて、翌年合格しました。
それからは哲学にどんどんのめり込んで、この歳になるまで、一瞬たりとも哲学をやめようと思ったことはないですね。
師・大森荘蔵との「ぶつかり稽古」で哲学の手触りを知る
──大森先生の授業やゼミのどこに惹かれたのでしょうか。
野矢 先輩から聞いた話ですけど、カントを扱う授業で、学生が生意気に「どの版のテキストを使いますか」と聞いたら、大森先生は「岩波文庫をポケットにねじ込んできてください」と答えたそうなんです。
──翻訳でいい、と。
野矢 論点を取り出して議論するんだから、解釈がもし間違っていたって、論点としておもしろければいいじゃないか、ということですよね。文庫本1冊あれば問題の宝庫だと。本郷の先生※にはないスタンスだったと思います。
※野矢先生注:大森先生がいた教養学科は駒場キャンパスにありました。哲学科は本郷です。基礎科学科も駒場キャンパスですから、私は駒場キャンパスに12年間在籍していたことになります。さらにその後駒場キャンパスの教員になって30年勤めたという……。
私のときは、ちょうど先生が『新視覚新論』を執筆していた頃で、そこで考えている問題を学生に投げかけるわけです。大森先生の発言は、少なくとも私レベルの学生には、ばかげているようにしか聞こえない。先生もわざと反発したくなるような言い方をして、反論させようとするんですね。
でも今となっては「そりゃそうだよな」ということを言っている。だから反論していくと、たいていこっちがひっくり返される。先生はご自分でさまざまなことを考え抜いているから、瞬時に再反論が返ってくるんです。
それが本当におもしろくて、私にとっては唯一無二の授業になりました。他の授業は単位が取れればいいやと手を抜いて、家に帰っても先生の問題を自分の問題として考えて、次の授業で言う。またひっくり返される。悔しいからまた考える。入門したてのヒョロヒョロが横綱に向かっていく、ぶつかり稽古みたいなものでした。それでもドーンと胸を貸してくれるわけです。

哲学史的な知識は一切教わりませんでした。そこはちょっと恨みがましく思うんですけど(笑)。でも一番大事な、「哲学ってこうやるもんだ」という手触りを教わったんですね。
考えるほどにたどり着けない答え
──哲学をすることの「手触り」とはどういうものでしょうか。
野矢 哲学には、一般の人でも「こんなのすぐに答えられるだろう」と思えてしまう問題がいろいろあるんです。でも考えれば考えるほど、答えが遠ざかっていく。
たとえば「自由」にしても、「自由って、あれもやれる、これもやれるってことでしょ、それでいいじゃん」、と終わりそうなのに、それじゃ話が済まない。
たとえば手を挙げる。挙げないでもよかったけれど手を挙げることを自由に選んだと言いたい。じゃあ、挙げないでもいられたのだと証明してみろと言われてもできない。もう手を挙げちゃっているので、「ほら君は手を挙げるしかできなかったんだ」と言われても反論できないんです。
つまり、自分が自由だということを証明してみろと言われても、実際にやっていることは、手を挙げるというただ一通りのことでしかない。「手を挙げないでもいられたんだ」という言い分が空しく響くことになります。こうして、「自由」を巡る哲学的モヤモヤにはまっていく。
──哲学への入口は私たちの身近にある。
野矢 そう。誰でもすぐに入れるんです。
『哲学の謎』※という本を出したとき、たしか中学生から「私の考えていたことは哲学だったんだ」というお便りをいただきました。私の赤と他人の赤は違う色かもしれない、という逆転スペクトルの疑問なんか、学生に聞いたら「幼稚園のときに考えました」というのがいましたね。

※『哲学の謎』:意識と実在、他人の心、記憶と過去などの哲学の謎に、平易な言葉で迫る対話篇。1996年に講談社現代新書で刊行され、長く読み継がれてきたロングセラー。刊行から30年を経た2026年5月には、書き下ろしの新版が刊行された。
そういう問いが自然発生してくるんだけれど、奥が深くて、いつまで経ってもゴールにたどり着いた感じがしない。でも、その場で足踏みしているわけではないんです。私は20代半ばから哲学を始めて、いま70を超えましたけど、哲学という広大な土地の風景が、以前より遥かに見えるようになっています。
面映ゆいことに、國學院大學の金杉武司先生たちが中心になって『野矢哲学に挑む』※という本も出していただきました。恥ずかしいから「野矢哲学」ってどうにかならないの、と思ったんですけどね(笑)。
※『野矢哲学に挑む――批判と応答』:金杉武司・塩野直之・髙村夏輝編(岩波書店、2024年刊)。野矢の哲学に対して他の研究者が寄せた批判論文と、それに対する野矢自身の応答とを収めた論集。
体系というほどのものはないけれど、そういう足場ができると、他人の考えとどう折り合うのか、まだ考え切れていない問題にどう向かうのか、次に進む場所が見えてくるんです。
小説家の保坂和志さんが「モグラは掘れば掘るほど、さらに掘れる場所が増えてくる」みたいなことを言っていて、たしかにそういう感じなんですよ。
心を「内面」としてとらえるのをやめよう
──研究の歩みでいうと、最初にご自身の考えを世に問われたのが『心と他者』(勁草書房、のちに中公文庫)でした。文庫版には、大森先生によるこの本へのコメントとメモの写真が掲載されています。

野矢 大森先生が亡くなられた後、奥様が「野矢さんが持っていたほうがいいと思うから」と、先生の書き込みが入った『心と他者』を送ってくださって。開けてみて、本当に胸が詰まる思いでした。私が「……と私は考えている」と書いたところに、大森先生が「これは私の意見」なんて書き込んであって、私も素直に「はい」と答えたりして(笑)。
大森先生は晩年まで、「他我問題」、つまり自分と他人の心について格闘し続けた哲学者です。
その先生があるときぽつりと、「結局、他我問題を学生諸君に理解してもらうことができなかった」とおっしゃった。先生のポイントは、「他人の心をどうやって知るのか」という「認識論」の問題ではなく、「彼女が痛みを感じている」ということが、私が痛みを感じているのと同じ意味なのか、という「意味の問題」なんだということです。だけど、みんな認識の問題として考えてしまって、そこが伝わらなかったんですね。
私は「いや、大森先生、私はわかってます」ということを示したかった。その宿題を受け継いだのが『心と他者』です。この本は私にとってはマグマのようなもので、そこから始まって、今もその先にいるという感じです。

──『心と他者』では、前半で心の「内」と「外」というとらえ方を批判したのち、後半から他我問題に入っていきます。
野矢 他我問題と心の問題は、結局同じ問題なんです。私のやってきたことの中心にあるのは、「心を“内面”としてとらえるのはやめよう」ということなんですね。

日常的には、この人は怒っているとか痛いんだなとか、ある程度はわかると思っていますよね。でも、本当にそうかと疑う見方もできる。
他人についてわかるのは、表情にせよ振る舞いにせよ言葉にせよ、全部外側に出てきたものだけだ。心はその後ろ側に秘められた内面だ。そう考えると、外面だけからどうして内面がわかるのか、外面だけの存在かもしれない、という疑いも出てくる。
たとえば、人間そっくりのロボットが痛がる振る舞いをしても、所詮ロボットだから内面はない、という考え方はある程度リアリティがありますよね。私はその考え方は間違っていると思っていますけど。
そうやって心と体を内と外に分けてしまうと、その距離が埋められなくなる。他我問題の核心はここにあると思ったんです。だとすれば、内と外という語り方をしない心のとらえ方が必要になる。つまり、「心」の意味をとらえ直すこと。
それを試み始めたのが1995年に出した『心と他者』で、大森先生からもらった宿題の答案をようやく出せましたよ、というのが2016年に刊行した『心という難問』でした。
『心という難問』では、「意識を失う」のような使い方以外では「意識」という言葉を使わない、と宣言したんです。自分の内面を「意識」と呼んでしまうと、人はすべて意識を通して世界を認識していることになり、どこまでいっても自分の意識の外に出られなくなる。「意識の繭」から逃れられなくなってしまうんですね。
眺望論──どこから見るかで、世界は変わる
──約30年かけて大森先生からの宿題を仕上げられたんですね。その答案の中心として、すでに『心と他者』のときから「眺望論」と「相貌論」という2つの概念を提示されていました。まずは「眺望論」について、簡単に教えてください。
野矢 眺望論は、まず「他人が何を見ているのか、どうすればわかるのか」という問題に対する回答です。見るということが現実の世界を内面に取り込むことだと考えてしまうと、「これは赤いね」と言っても、その赤がその人の内面にどう映っているか、私からはわからないことになる。
そうではなくて、どう見えるかは世界の構造としてあるんだと。我々は世界を内面に取り込むのではなく、世界そのものと出会っている。どこから出会うかによって見え方が変わる、その「どこから」と眺望とが結びついているんだ、と考えたわけです。

この発想は『心と他者』の頃から芽生えていたんですが、さらに前進したのは、若くして亡くなったガレス・エヴァンズ※という非常に優れた分析哲学者の論文を読んでからですね。難しい論文なので100パーセント理解した自信はないけれど、その肝の部分が自分の中に染み込んできて、眺望論とすごく親和性があった。
※ガレス・エヴァンズ(1946〜1980):イギリスの分析哲学者。専門は言語哲学・心の哲学で、とりわけ指示(レファレンス)の理論に大きな足跡を残した。
それで『心という難問』では、「これで眺望論は完成した」と宣言しました。いまでは眺望論もまだ詰めなければいけないところが残っているという気持ちになっていますが。いや、ほんとに哲学は終わりがない……。
──眺望論によって、大森哲学を乗り越えたと?
野矢 「乗り越えた」と言ってしまうと少し言葉が強すぎるかもしれませんけれど、ある意味では引き受けつつ、ある意味では乗り越えたという感じでしょうか。

大森先生の「立ち現われ一元論」というのは、たとえば目の前にある机の見え方は、決して自分が内面に取り込んだ像ではなく、まさにこの机そのものが立ち現われてきているんだという考え方です。世界を自分の内面に取り込むのではなく、世界そのものと出会っているんだというこの発想は、まさに大森哲学から引き継いでいる部分です。
ただ、大森先生が立ち現われ一元論をやすやすと繰り出せた背景には、どこか独我論(自分自身の意識・経験だけが存在し、他者の心や外界は存在しないとする哲学的立場)的な傾向があったと思うんですね。つまり「私に与えられているこの意識の世界」だけですべてを賄おうとしたため、他人の心は意識の繭の外に弾き出されて、難問として残ってしまった。
私はその独我論的な構造から抜け出したかったんです。世界そのものを受け止めているという立ち現われ論の核心を引き受けつつも、それは「私一人の世界」ではなく、「みんなで共有している世界」なんだと開いていこうと試みました。
──知覚経験は「一人称的・主観的」なものではなく、「非人称的・公共的」なものだということですね。
野矢 極めて客観的なものですよ。吾妻橋に立ってある方向を見ると、東京スカイツリーが見える。これは客観的なことでしょう。窓を開けて「来てごらん、富士山が見えるよ」「あ、本当だ。見えるね」。どこにも主観性はない。つまり誰が見ようが、その地点からの眺望は一緒なんです。
──そのほうが自然に思えますね。後編では、ウィトゲンシュタインへの応答とも言える「相貌論」について、そしてベストセラーにもなった「論理学」関連のお仕事についても教えてください。
連載『問いの道』は、学問を究めようとする一人の学者が、どのようなまなざしで問いを眺めながら歩んできたのか。そして、根源的な問いが、どのように学問として立ち上がり、道となり、ときに道が分かれ、また新たな道につながっていったのか、その変遷を尋ねていきます。
- 取材・執筆斎藤哲也
- 撮影西田香織
- デザインjaco
- 編集中島洋一
- 企画柳原暁